2013/03/07

始動するマーチ

音楽を一切聴けなくなる(音自体が嫌になる)時がまたやってきた。毎年、予兆なしに大体一ヶ月から二ヶ月くらいずっと音楽が聴けなくなる。毎年、どうなってしまうのかとその度に落ち込んだものだが、もう歳を取ってそれ自体に慣れたせいか落ち込まずにすんでいる。その代わり文字を沢山読んでいる。いろいろなことに慣れてきた。例えば、平然と茫然とすること。こうして、あることをただ文字にすることにも慣れた。このようなことが良いか悪いか分からないが悪い気分ではないから、自分はただ良かったと思っている。明るくなるような事はないのだが、例年に比べてずっと落ち着いた状態で春を迎えられている。外の空気が暖かく柔らかくなってきたのが嬉しい。今日の新聞にチャベスが死んだと載っていた。本当によくやった人だった。ゴダールの全発言が載っている分厚い本を借りてきた。読み始めて、10分ぐらい過ぎたのだろうか?これだったら映画を観たほうが良いだろうと思い本を閉じた。

2013/03/05

神様が家にやって来る(新しい名前)

インフルエンザにかかり仕事を休み、本を読んでは眠っている。脳も身体も久しぶりにすっきりしていくのが自分で分かる。こんなに完全に休んでいるのは高校の時に入院した時以来かもしれない。あの時も病院で本ばかり読んで寝ていた。確か読んだのは太宰治さんと大江健三郎さんだった。今、読んでいるのは山本周五郎さんだ。とても楽しい。あの時に読んだものは弱っていた自分に確かな力をくれた。今、山本周五郎さんが同じように力をくれている。文学って本当に素晴らしいと大学の時に大好きな教授がしみじみ言っていたのだが自分も今、心からそう思う。人間の生活のひとつひとつについて、それは、起きてから眠るまでのひとつひとつについて考えさせるような力があると思う。どんどん0になっていくのが分かる。ひとつひとつちゃんとやり始めたいなと思う。何もないけれど素晴らしいって今日みたいな日を指すのだと思う

2013/03/04

日と日の真ん中の断片

太宰さんがとんでもなく研究家だったと最近知った。他の作家の作品なんて読みませんなんて言っていたのも本人による嘘だったと知った。自分の家に本自体を置かないようにしていたらしい(何にも読んでいないように思わせるために)。では、どうしていたか?本をたくさん持っている 友だちの家に入り浸り、借りまくっていたのである。自分で買って読んですぐに捨てたりもしていたのだろう。凄い根性である。子どものような人だったんだなと思った。時代の違いは相当あるのだとは思う。また太宰さんの作品を読んでみようと思いました。話は変わり自分の話を少々。幼年期はずっと赤が好きであった。青年期は急に緑が好きになった。最近は気づいてみたら黄色が好きになっていた。自分だけかもしれないが好きな色は歳と共に自然に変わるものなのかもしれないと思った。他の動物でも同じようなことはあるのだろうか?ありそうだ。さて、また話は変わるがトムウェイツの『恥をかきながら歳を取っていきたい』という言葉。知った時に本当に救われたような向かっていくような気分になった。すべてがあるような気がした。

2013/03/03

これまで

曲を作る時にこだわっていたのは曲の中にある材料だった。詩ではなく、ただ普通じゃないように思いたいが為に作り出した材料だった。一度その重要だと思っていたことを捨てたいなと思った。なんでこだわっていたのか分からなくなってしまったのだ。海から帰ってきてからずっと寝ている。久しぶりに普段考えないようなことを考えている。そうして、思ったのは最初に記したようなことだった。自分がそんな意識がなくても無意識に型とかルールを作っていたんだなと思った。0になっていくような感覚がちゃんとある。熱で浮かされている身体に涼しい風が少しづつ吹いているようで心地良い。風邪のために身体が重くて動けない。こんな日はただいろいろと考えているだけでよろしかろうと思う。

葉山へ思い立ち行ってきた

今日は海を見に葉山に行ってきた。久しぶりの海は静かできれいだった。長くいたせいか日が沈む頃には完全に風邪を引いていた。明日が日曜日で良かった。それにしても海はいつ見てもいい。美術館のシーフードカレーは高かったけれど、材料が新鮮で美味しかった。また来ようと思った。いい休日でした

2013/02/11

干した服が揺れている

三連休の最後の日横になっている。時の流れの早さが最近五倍くらい早くなったような気がする。友人にそれを話したら、皆口を揃えて『そうだよね~』としみじみとした調子で誰もがうなづく。まあ、全体的にもそういうことなのだろう。なので、皆さんも時間が五倍くらい早くなったことをちゃんと理解してからこれからの生活を作ってみてはいかがでしょうか?とか言ったら変な顔をされてしまうのでしょうか?でも、変な顔をしながらもその人は胸の奥底でそういったことも、無い話でもないぞと思う気がするのは私だけでしょうか?!?だけれど、まあ仮に思っていたとしても、そういった気にするという行為と理解は全然異質のものだから多摩川からアフリカくらいの凄く遠い距離が出来てしまうので無いのと同じなんですけどね。常識じゃないからと消されている事柄が知らないだけで沢山あるような気がしています。そうなると本質はなんなのか?人が色々と考えて作ってきた理論なのか?表向きにはそうなのだろう。裏向きにもそうなんだろう。そうなると感覚だけが異質になる。もう春、時間の流れが早くなると共に自分の目には風景がより鮮やかになっていく

2013/02/09

それから

数日前に友人の長谷川さんが作った映像を観た。とても良くて色々なことが考えられたのが本当に良かった。良い作品というものはパッと観た時の印象だけでは終わらずどこまでも余韻が残る。友人がそれを作っているような気がして良い気分になった。そして、自分がそれに関係をしているというのは本当にありがたいことだなと思った。何度も何度も見ている。昨日は違う友人の横田君の写真の展示と討論会を観に今川さんと長谷川さんと恵比寿に行って来た。向上や発展や努力がそこにはあって感銘を受けた。スライドショウ、横田君の世界がばっちりとあった。討論会は言葉の螺旋階段みたいですべてを把握とまではいかなかったが、作品のすべてを言語化出来ないといけないんだなと理解した。それは本当に大変なことだ。説明が苦手でよく人から何を言っているか分からない時があると言われ続けてきた自分には到底出来ないような気がした。意味がたくさん出来るのはいいことだと聞いていて思った。全部終わってから夜ご飯を長谷川さんがよく行くという、安い中華のお店に行く。ジュースや麦酒やお茶が一律280円で面白いなと思った。ふたりと色々と話した。楽しくて麦酒が美味しい。途中から横田君とか他の写真家さんなども加わり沢山話をした。麦酒が美味しい。皆、精一杯頑張っていて傷もついていてそれでも頑張っていて偉いなと素直に思った。広がる作品が作りたい。人の心を悲しくさせないものを作りたい。一日が終わる頃には大事なことをずっと忘れていたことに気づけた。日々の虚しさは当然とそこに海のようにあるのだけれど、自分はそこばかりを見てしまっていてあんまり良くなかったなと反省をした。馬鹿でありポンコツであることは本当に困る。人間だものなんて思いたく無いから目の前にあるこの虚しさと向かい合って全然違うものに自分がする努力をしたいなと生活全般のことを考えた。またちゃんとしたい、ちゃんとやりたいなと改めて思っていた。。本当に2人の友人の作品を見れて良かった。機会を作ってくれた今川さんに感謝した