2013/03/16

呼吸が出来る空間

すべてはちゃんと繋がるのだと最近はより強く思っている。生きている中で常日頃からあの時の行動が今に繋がっているのだと気づく頻度が多くなっている。今日、小説を書こうと突然思いました。そして、それは後になってからきっと自分の中で繋がるに違いないとまるっきり根拠がないけれど猛然と感じました。訳のわからないような未完成なものになっても構わないから何も考えず文字の羅列を始めようかなと。例えば、昨日の昼に観た幸せのピースというパズルにのめり込んだ主婦を描いた映画に胸をうたれたこと。分かっているようであり、何も分かっていないのだなとすべての物事と自分を遠目から見た時によく感じること。繋がらなくてもそれらをそのまま並べて書いてあるようなものを作りたい。かなり退屈なものが出来上がってしまおうとも以前よりもずっとその退屈を楽しめるように思う。また今はそういうものが作りたいのだ。アンビエントからのアンビエント、そこから発生するアンビエントの先のアンビエント(笑)。狂うことなく静かに目の前の生活をそのまま写したようなものが作りたい。LIFE IS WATERの二枚目、板橋君(才人ですな)が歌や演奏を録音するのを全体的に手伝ってくれるみたいだから面白いのが出来ると思う。何も気兼ねしないでいいような人だし、いい友人を持ったと本当に思う感謝。もはや形にならなくてもこれといって何もないから別にいいといった以前とは少し違う境地にいるのだけれど、本気でしかない感じでやりたいという思いは以前より現在の方が強い形である。歳をとると共に石みたいに固い退屈なものなっていくような人間とは逆行した生き方をしたいなと思って生きてきたけれどそういえば元来自分は石みたいな人間なんだと最近感じて寂しい気分になる時がある。それならば思うように落ち着くまでは人前に出ないで何かを作っていたい。そうだとしたら小説である。浅はかだと思われてしまうだろうか?そう、自分はずいぶん浅はかなんです。もう世界全体に謝ってしまいたい。あの本当にごめんなさいね……。昨日、早くに寝たので早くに目が覚めた。今日も健やかに晴れている。小春日和とは今日みたいな日をいうのだろう

2013/03/09

2013/03/07

始動するマーチ

音楽を一切聴けなくなる(音自体が嫌になる)時がまたやってきた。毎年、予兆なしに大体一ヶ月から二ヶ月くらいずっと音楽が聴けなくなる。毎年、どうなってしまうのかとその度に落ち込んだものだが、もう歳を取ってそれ自体に慣れたせいか落ち込まずにすんでいる。その代わり文字を沢山読んでいる。いろいろなことに慣れてきた。例えば、平然と茫然とすること。こうして、あることをただ文字にすることにも慣れた。このようなことが良いか悪いか分からないが悪い気分ではないから、自分はただ良かったと思っている。明るくなるような事はないのだが、例年に比べてずっと落ち着いた状態で春を迎えられている。外の空気が暖かく柔らかくなってきたのが嬉しい。今日の新聞にチャベスが死んだと載っていた。本当によくやった人だった。ゴダールの全発言が載っている分厚い本を借りてきた。読み始めて、10分ぐらい過ぎたのだろうか?これだったら映画を観たほうが良いだろうと思い本を閉じた。

2013/03/05

神様が家にやって来る(新しい名前)

インフルエンザにかかり仕事を休み、本を読んでは眠っている。脳も身体も久しぶりにすっきりしていくのが自分で分かる。こんなに完全に休んでいるのは高校の時に入院した時以来かもしれない。あの時も病院で本ばかり読んで寝ていた。確か読んだのは太宰治さんと大江健三郎さんだった。今、読んでいるのは山本周五郎さんだ。とても楽しい。あの時に読んだものは弱っていた自分に確かな力をくれた。今、山本周五郎さんが同じように力をくれている。文学って本当に素晴らしいと大学の時に大好きな教授がしみじみ言っていたのだが自分も今、心からそう思う。人間の生活のひとつひとつについて、それは、起きてから眠るまでのひとつひとつについて考えさせるような力があると思う。どんどん0になっていくのが分かる。ひとつひとつちゃんとやり始めたいなと思う。何もないけれど素晴らしいって今日みたいな日を指すのだと思う

2013/03/04

日と日の真ん中の断片

太宰さんがとんでもなく研究家だったと最近知った。他の作家の作品なんて読みませんなんて言っていたのも本人による嘘だったと知った。自分の家に本自体を置かないようにしていたらしい(何にも読んでいないように思わせるために)。では、どうしていたか?本をたくさん持っている 友だちの家に入り浸り、借りまくっていたのである。自分で買って読んですぐに捨てたりもしていたのだろう。凄い根性である。子どものような人だったんだなと思った。時代の違いは相当あるのだとは思う。また太宰さんの作品を読んでみようと思いました。話は変わり自分の話を少々。幼年期はずっと赤が好きであった。青年期は急に緑が好きになった。最近は気づいてみたら黄色が好きになっていた。自分だけかもしれないが好きな色は歳と共に自然に変わるものなのかもしれないと思った。他の動物でも同じようなことはあるのだろうか?ありそうだ。さて、また話は変わるがトムウェイツの『恥をかきながら歳を取っていきたい』という言葉。知った時に本当に救われたような向かっていくような気分になった。すべてがあるような気がした。

2013/03/03

これまで

曲を作る時にこだわっていたのは曲の中にある材料だった。詩ではなく、ただ普通じゃないように思いたいが為に作り出した材料だった。一度その重要だと思っていたことを捨てたいなと思った。なんでこだわっていたのか分からなくなってしまったのだ。海から帰ってきてからずっと寝ている。久しぶりに普段考えないようなことを考えている。そうして、思ったのは最初に記したようなことだった。自分がそんな意識がなくても無意識に型とかルールを作っていたんだなと思った。0になっていくような感覚がちゃんとある。熱で浮かされている身体に涼しい風が少しづつ吹いているようで心地良い。風邪のために身体が重くて動けない。こんな日はただいろいろと考えているだけでよろしかろうと思う。

葉山へ思い立ち行ってきた

今日は海を見に葉山に行ってきた。久しぶりの海は静かできれいだった。長くいたせいか日が沈む頃には完全に風邪を引いていた。明日が日曜日で良かった。それにしても海はいつ見てもいい。美術館のシーフードカレーは高かったけれど、材料が新鮮で美味しかった。また来ようと思った。いい休日でした